■PROFILE

清水ののぶちゃま

  • author: 清水ののぶちゃま
  • 清水に住む42歳の単なるアルコホーリックのサラリーマン。妻、娘一人のいい男。ACでウツもち。
    好物はウイルキンソンのジンジャエール、杏仁豆腐、焼き鳥と枝豆。副業は銭屋官兵衛主宰:山信證券でのウイークトレード。そりゃまだ、金も欲しいさ…ハムスターの「さくら」の人気急上昇!!娘同様、かわいいのー
  • RSS
  • ■RECENT ENTRIES
    ■CATEGORY
    ■ARCHIVES
    ■RECENT COMMENTS
    ■RECENT TRACKBACKS
    ■LINKS
    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。


    スポンサー広告 | --:--:--| Trackback(-)| Comments(-)
    内職の思い出:孝ゆきちゃん
    20050531_1204_0000.jpg

    のぶぴょんでも稼げるとこはないかのー

    うちも貧乏だったが、友達の佐藤孝ゆきちゃんちも負けず貧乏だった。ゆきちゃんの親父、寅さんは土木作業員。仕事が仕事なのでアル中系で、飲むと暴力的になる。お母さんは、若干身体が弱く電気部品の内職仕事で家計を助けていた。言葉の訛りから、多分、二人とも東北地方の出身であろう。

    孝ゆきちゃんの家は、保育園前のアパートの2階、6畳一間。姉と妹も居たからさぞ窮屈だっただろう。でも、何故か保育園の帰りに立ち寄った(もう保育園の頃往復は私一人で)。気の合う友達だった。本当に気心を許せたのは孝行ちゃんだけであったのかも知れない。共通点は「貧乏」と「親父のアル中」。
    孝ゆきちゃんの家にいっても、特段おもちゃがあるわけでなく、お母さんの電気部品の内職手伝いがお遊びだった。細かいゴムや伝線などの部品をハンダづけする仕事である。孝ゆきちゃんは何しろ飽きっぽかったし、悪ガキだった。すぐに「ヤーメタ」。僕は手先が器用で忍耐強かったから、よく母さんに「のぶちゃんがうちの子だったらねー」と毎度、毎度口癖のように言われていた。

    僕は小さい頃から「家」についてコンプレックスがあった。まわりの子たちは、地元の農家の子が多かったから家屋敷は広かった。そこにアパート暮らしの私。子供心にも友達を家に招きいれるのに気が引けた。しかし、孝ゆきちゃんちも負けず劣らずの生活だったから、お互い気にしなかった。多分、僕が招きいれた友達は彼が唯一だったかも知れない(無理やり入りこんできたのは数人いる)

    孝ゆきちゃんの親父は背中に虎の刺青を彫っていた。でも、足の内股に彫りかけの鞍馬天狗の頭巾があり、これが「イカ」の三角に見えてズボンを脱ぐと迫力がなかった。酒が入ると暴力的。つまみは、サキイカにマヨネーズをつけて日本酒か焼酎を浴びていた。イカマヨの食べ方の先駆者であった。

    孝ゆきちゃんは、ワルがきになり、万引きぐらいはしていた。中学卒業後、僕は高校に進み、彼は土木現場にいった。その後、彼とはあまり会う機会はなくなっていった。

    それから、彼は、解体工事に従事し、まじめに働いていたと思う。しかし、僕が東京で学生暮らしをしている頃、本当に酒の味、恋愛経験など覚える前に工事現場で亡くなった。

            孝ゆきちゃんちは、ハンダの臭いがした…

    スポンサーサイト
    未分類 | 16:50:44| Trackback(1)| Comments(1)
    今時の稲穂観察
    小学校5年では、発芽から稲穂が実り、それがお米になるという観察日記をつける学習があるようで…

    静岡でも、市街地では田んぼはめっきり少なくなりました。
    観察の内容は、「解説書」によると、まず種籾を発芽させ、(中略)黒土(培養土でも可)、赤玉土、鹿沼土を用意して15リットルのバケツを用意して…

    昔なら、「○○さんちと、××君ちは農家で田んぼやってまーす」で、ことの終わり。
    でも今は…

    我が家では、娘をお金がないのに、敢えて高校までの私立学校に行かせています。

    すると、「◎◎ちゃんのお父さんはエスパルスのキーパーでーす。△△君のお父さんは元日本代表でーす」そんなのばっか!(タコさん、学校は違うけど風間八宏の息子がすげーんだって)
    この前の、運動会でも、急病人が出たとき、「会場で皮膚科の先生はいらっしゃいますか」、「その症例なら小児科の先生がわかるそうです」(実話)だって。


    今、寝ぼけ眼で起きてきたら、ママさんどうしが「発芽しなかったらどうするー」「長電話」でやっていました。

    そしたら、「俺が何とか調達してくるよー」、「それ、採ってくるってことでしょー、盗みは駄目!!」だって。

    「そんなもの、アル中に声かければ何とかなるさー、漫画家も学校の先生も不動産の専門家(私)もいるんだから、アル中のネットワークを馬鹿にするなー」とやりました。
    「確か、ひいらぎ師匠のところだって確か実家は農家だよー」、「なら、どうやって送ってもらうのさー」、「得意の宅急便の着払いかな?」と。


    きっとさがせばアル中の稲作、誰かいますよね。
    ママさん連中が「電話」なら、アル中はネットの時代に突入しているのだから、
    新時代さ、魁(さきがけ)さ!


          「助ーけられたり、助けたりー」 (隣組の歌のリズムで)





    未分類 | 22:23:04| Trackback(0)| Comments(1)
    今日の出来事③
    20050529_1619_0000.jpg

    第3戦は絶対に勝ち、完全優勝じゃ!

    <オフ会>
    今日は、二郎さん、クリームさん、ひいらぎ師匠などなど、なかなかのメンバーの揃い踏みって感じ。ひいらぎ師匠は、以前見た写真よりややスマートになられていましたが、やはりヲタク顔でありました。
    そのようなつわものに囲まれると、私は、やはり「ひよこののぶちゃま」でありました。
    幹事のクリームさん有難うございました(食事もOKよ、カラオケは盛り上がったかなー)。
    皆さんもお身体に気をつけお達者でーまたどこかでお会いしましょう。
    ※私が清水に帰って二郎さのところをみたら、すでに盛り上がっておりました。おそるべし。


    <花の早慶戦>
    次に向かった先は、神宮球場(カラオケは勘弁してね)。
    もちろん応援するのは1塁側、在籍5年の母校早稲田大学である。
    両校とも優勝がかかった試合であったが、本日、早稲田惜敗。これで一勝一敗。
    学生たちは、慣例に従い明日は、臨時休業となる。実に羨ましい限りである。
    「都の西北」を三番まで絶叫すると、身体にこたえるが、20年前の青雲の志を抱いて上京したときのように、「また、裸一貫から始めればいいさ!」という気持ちにさせられる。
    また、各社ビール売りのおねーちゃんの誘惑にも屈指せず、コーラとウーロン茶を飲み私が勝った。

    <お土産>
    東京土産で家族のリクエストはもちろんこれである。
    リクエストをかなえるととても喜ばれる(今日は娘が頭を洗ってくれました)。ハムスターのさくらには「ひまわりの種一袋」。これも多分お喜びでしょう。

           明日は学生同様、臨時休業にならんかのー




    未分類 | 20:54:51| Trackback(0)| Comments(5)
    一週間の棚卸し③
    この一週間を振り返ってみましょう。

    <入院日記>
    昨年の今日、退院しました。その時の記憶を風化させたくないため、原稿を書上げました。おそらく、皆さん同じような入院体験をしていると思います。

    <麒麟の男>
    この原稿は、あらかじめ用意されていたものです。なかなか、その17:15分発の電車に乗ることが出来なかったのですが、昨日、その機会が訪れました。本当にあの描写のままなのです。

    <心の家路とのリンク>
    一年前、この心の家路につながりました。どういうルートでつながったのか未だ思い出せません。
    ひいらぎ師匠から、ブログを進められ、書き始めましたが、実に楽しい作業なのです。そしてついにリンクを認めていただきました。リンク許諾ご提示の一報には、本当に緊張しました。
    AAやアディクションの問題は、私は門外漢なのであまり触れませんが、サラリーマンなので、そこに視点を置いて書き進めたいと思います。

    <ハムスターのさくら>
    混合のエサを与えているのですが、さくらは、「柿の種」からピーナッツを探すように、ヒマワリの種ばかり選っています。まさに歌詞どおりです。

    <今日一日>
    朝寝、昼寝、寝れるだけ寝ました。この頃、生活リズムが不規則なので、眠剤を服用することもあるのですが、できるかぎり薬に依存しないようにしたいと思います。「リビングソーバー」にも書いてありますよね。

             明日は久しぶりの新宿だー。どうなることやら?


    未分類 | 19:51:01| Trackback(0)| Comments(0)
    麒麟の男
    20050527201952.jpg

    本日撮影。本人のプライバシーを保護しています。

    私は、通勤する場合、往きの電車は、ハンを押したようにいつも同じ。
    でも、帰りは残務整理かなにかで若干ずれるが、三島17:15分始発の電車に乗ると必ず…

    私は、帰りは、降車に便利なように最後尾の車両に乗ることにしている。その件の電車にのると、途中△△駅で必ず一人、眼鏡で太鼓腹の中年男が同じ車両、ほぼ同じ座席に乗り込む。 その男も私も下車する駅は違うものの、最後尾に乗ると降車に便利だから仕方ないのだが…
    でも、その男は、必ず麒麟のあの缶ビールを1本持っている。
    そして席に着いたとたん「プッシュ!」とやり始める。一人で黙々と2駅掛けて飲み干し、何事もなかったように、とある駅で降車する。

    いつも私に喧嘩を売っているとしか思えない。

    しかし、いつも「同じ銘柄、同じ量」しか飲まない「こだわりのあるやつ」だから許してやる・・・

    昔、何を隠そう、私は500ミリリットルの発泡酒を1駅間で飲んでいたから、
    私のほうが断然、早い、安い
    (しかも、私は一本だけとはいってはいない)。

              もう俺は、のまないよーだ!!


    未分類 | 20:37:29| Trackback(0)| Comments(2)
    入院生活⑤(最終回)
    あと、入院生活で語るに残っていることといえば・・・

    <外泊訓練>
    この病院では、入院後約1ヵ月より外泊訓練が行われる。「根性試し」である。でも、私は4月1日の娘の誕生日に外泊訓練にいきたかったが許可は下りなかった。その日、きれいな桜の咲く公園を散歩しなければならないのは実につらかった。最初の外泊は4月9日、次は23日、ゴールデンウイークは何とかして還してもらい5月4日、それぞれ2泊3日の短い時間であった。最後の外泊は退院直前の5月21日。このときは、娘の運動会に参加でき、途中で小雨が降り出し、行事が短縮されたものの、大変うれしかった。家族あっての私なのである。

    <院内自治会>
    私の病院でも、患者はただ寝ていて看護士さんが上げ膳・据え膳でもてなしてくれるのではなく、食事の配膳などは患者同士が行う仕組みとなっていた。風呂の掃除も洗濯も「頭は変だが身体は元気」な患者が自ら行うのであった。その患者同士の利害を調整するのが自治会会長などの役職者が行うことになっていた。
    入院して間もなく松本さんが会長を押し付けられ、同時に私も副会長となった。名誉職でもなければただただ面倒なだけである。「あいつのいびきがうるさい」だとか「あいつは配膳をサボる」とかそんな処理で昼寝もできないのである。 

    そして、一ヵ月後、松本さんの代わりに私が会長になった。平穏な日々が続いたが、私が退院する前日、実に些細なことから薬物系の患者同士の喧嘩がはじまり、それを抑えるのに苦労した。もう、こんな病院などくるかと思った。でも、退院する際、喧嘩を起こした者たちが侘びを入れに来て、荷物を運んでくれたときには正直涙が出てきた。
    5月28日午後、妻が身元引受人となり無事78日間に及ぶ入院医院生活は終わりとなった。

    ※この後、松本さんは不慮の交通事故で命を落とした。ここに生前のご交誼により、彼のご冥福をお祈り申しあげます。

    <おわりに>
    最後のグループミーティングのメモにこう残してあった。

    「入院当初は、『別に節酒でもいいじゃないか』『やめようと決意すれば何とかなるさ』位に思っていた。その後、各種ミーティング、例会、AAに参加するようになり、そのようなことは無理だと認識するようになり、現在では断酒しようと決めている。せめて10歳の子供が成人するまでは健康な身体を保ちたく、飲酒のみならず、運動、栄養のバランス、ストレスの発散等まで気をつけたく勉強を始めた。一日も早く『しらふ』の自分を構築し、二度と同じことをしたくありません。」「20040524回復のためのミーティング体験談」

    長い間ご静読有難うございました。もうやだねこんな生活…

    未分類 | 05:26:39| Trackback(0)| Comments(0)
    入院生活④
    20050525_1920_0001.jpg

    うちの院内例会は断酒会系

    <入院期間は短くしてよ!>
    当初90日と言われていても、回復の程度が顕著であれば80日位で出してくれることを知った。私は模範囚として70日台でここをおさらばしようと考えた。まず、お金(入院費と保険)のことを考えた。
    私は仕事上(金融関係)で、事業計画の妥当性を判断するため、様々な事業のシミュレーションを行っていた。単純な病院経営など「おちゃのこさいさい」である。まず入院単価は精神科・神経科の場合、凝った治療(手術、薬)を行っていないから1日当たり15,000円位と記憶していたし、その3割負担で約5,000円、私の入院共済が2,000円出るから、1日の入院負担は3,000円位となる(高額療養費や医療費控除)は別途控除。それで、90日もいたら270,000円となる。これは大変な額である。入院に数をまけてもらわなければ・・・80日にすれば240,000円、これをマックスと決め、徐々に、ケースワーカー、院長先生(主治医)を懐柔していったのである。なんだかんだい言って78日まで短くしてもらった。まあ、この病気としては短い入院生活だろう。

    <アルコール教育>
    アルコールに関する講義は20コマほど行われた。この病気は否認の病気、アルコール依存症者の平均寿命が約52歳、完全に断酒できるのは100分の2か3程度。断酒会、AAなどの自助グループへの参加の重要性、「HALT」、ノックビン、シアナマイドの抗酒剤の怖さも聞かされたが、私には利かないことは実験済みであったため、ボケーと聞いていた。お退屈様。

    <金曜日の院内例会>
    この病院の一週間の最大イベントで何よりも優先される。断酒会系の例会である。でも、私はこの例会が嫌いでたまらなかった。
    まず、席次。入院中の者が横並びになる。一列目は、新規入院者、退院予定者、外泊訓練者が名前の札がついた席につく。その後ろに患者が耐えながら席につく。

    これに対峙するかのように、この病院の卒業生が横並びに幾重にも並ぶ。それで、患者側は一列目の者だけが挨拶をする。後は、卒業生が時候の挨拶程度ならよいのだが、演説をぶつ輩もいる。
    まるで刑事裁判の検察側と被告人の関係である。それも毎週行われるから検察側の演説もマンネリ化してお退屈様。中には先週まで検察(卒業生)側にいたものが、スリップして被告(患者)になるのはおかしい。また、同じ患者だったのに退院したとたん検察側にいて、発言するのも滑稽である。

    私は、この行事が嫌いで、いろいろ考え、退院後「清水のAAにつながりたいから、清水は金曜日だから」といって、この金曜例会を抜け出した。
    そして、金曜日に外出し、日曜日に戻ってくれば、土曜日はフルに家族と会えるのがよかった。
    実際、子供の運動会が土曜日に行われ、十分運動会を楽しめることができた。あとこの病院は日曜日は基本的には治療も散歩もなにもない、ただ退屈な缶詰状態になるのであった。
    (つづく)


    未分類 | 01:53:12| Trackback(0)| Comments(0)
    入院日記③
    20050524_0016_0000.jpg

    南瓜、かぼちゃ、カボチャと文字だけ変えてあるが…

    <入院生活>
    次の日の朝には、私は完全に冷静になっていた。もう8人部屋行きである。
    新入りの私はドア入り口右側であった。数日後ベッドの大移動があり、一番奥の「主」のところとなった。後日聞いたところでは、このベッドで過去自殺があったとのことであったが、別に気にしなかった。患者の中で当初より仲がよかったのは、私がトコロテンした松本さん(故人:仮称)であった。まず、話し言葉の端々から普通のサラリーマンであること、いやに物知りである、持っていたタオルがお馴染みのものであったことから、私と同類の人間ではないかと思った。それから2、3日して、松本さんは私の会社の先輩であった人であり、中途退職した方と判明した。松本さんの同期入社の人が私の仲人なのである。それから、会社の昔話や、彼の家庭の悩みなどを昼夜語りあった。

    さて、入院生活はお退屈様。TV(約60人で3台)を眺めていたり、新聞を精読していた。でも、土曜日入院だから、月曜日から検査が順番に上手く組み込まれ、最初の2週間(10営業日)だけは忙しかった。当然、比較的年齢的に若かったし、模範的であったため、散歩の許可などはすぐに降りはじめた。

    風呂は週2回、それ以外のシャワーは追加料金が取られる。お湯はただ、タバコは1日20本まで(私には関係ないが)などか。私は、おかゆは1日だけでそれ以後は、普通食。1日2,000カロリーから2,300カロリーで普通の定食屋並みのものがでた。味は結構濃い目(私が文句言わないのだから相当濃い)、高たんぱく低脂肪前にも書いたが「かぼちゃ」が多く、人生のうち、半分のかぼちゃをここで食べた。嫌いな牛乳は他の患者さんとお菓子と代えてもらった。
    私は会長(就任については後述)の権限で、病院のメニュー表を掲示板から剥がして持ち帰ってきた(写真)。特に、4月下旬はひどく、マリネ、ヨーグルトサラダ、味噌汁、煮物、揚げ物、また味噌汁とまあよく食べさせられた。

    <日曜日の面会時間>
    私と妻子は、基本的にどちらかが病院と家を行き来していたから毎週のようにあっていたが、面会に訪れる患者の家族は少なかった。普通、総合病院で入院してしると、面会時間前から面会に訪れ、花や果物など様々な差し入れがあるのだが、この病院では入院生活に必要なものしか差し入れはできなかった。何か変だなと思った。
    要は、訪れる人もなき寂しい面会時間なのである。それは、アル中患者がまず家族がいない、いたとして、家族にとっては厄介者であり、わざわざ、面会などに訪れるはずはなく、アル中がいない平穏な生活を送りたいと思う気持ちがあると思う。アル専病院、精神病院は一種、独特な位置づけである。
    (つづく) 

    未分類 | 22:36:27| Trackback(0)| Comments(0)
    入院日記②
    20050525_1928_0000.jpg


    <業務停止命令>
    それでも2004年正月明けは普段どおり出勤していた。しかし、酒が切れると手が振るえ、字が書けない状態となり、昼食事にビールを飲んだりしていた。

    月下旬、勤務先の最寄り駅の駅のホームで缶ビールを飲んでいるところを誰かに見られ、上司に報告され、「業務停止命令」を食らい、自宅待機である。でもそれは、いつも酒を飲める状態におかれているのに等しい。

       それから私は飲んだ、記憶を失うまで飲んだ。
            本当に記憶がない



    <入院日>
    静岡県は人口、面積も他の都道府県より比較的大きい。しかし、アルコール専門病院の分布は、県東部と西部に一つずつしかなく、中部地域の病人はどちらかに振り分けられる。
    家族は当初東部の病院を希望したが、待機者が14名、西部の病院なら次の日(12日)からなら空きがでるとのことで、家族前日より、西部の病院に入院させることに奔走した。

    私の入院した病院では、最初の入院計画を練る際、30日、45日及び90日のコースがあり、通常、初犯は90日を言い渡されることを知った。治癒に90日かかるのではなく、単に酒と隔絶させる期間が90日は必要であるからである。
    当然、先生から、「『振戦せん妄』(もちろんあとから知った用語だ)があるから90日ですね。任意の入院ですよ」と言われた。「震えてなんかいません」「私の意思から入院するのではないので90日の入院治療計画には同意しません」とはっきりと答えたが聞き入れなかった。でも、はんこを押したのは後日であった。

    初日は、私たちの用語で「ガッチャン部屋」(隔離室)行きである。同日入院でその部屋に入っている程度のよい病人を、トコロテン方式で押し出し私がその部屋の「主」となったのである。ここでまず、各種の洗礼を受ける。此処では敢えて説明しないが、入院経験者には想像に易であろう。
    何も食べられず、仕方なくここで点滴を1本打ち、寝られるだけ寝たことを記憶している。
    (つづく)




    未分類 | 11:02:25| Trackback(0)| Comments(0)
    入院日記①
    20050525_1918_0000.jpg


    <はじめに>
    私は、昨年の3月12日から5月28日までの78日間入院生活を送った。初めての入院だった。人生最大の汚点であるが。後悔はしていない。なぜなら、入院していなかったらおそらく、狂い死にしていたからである。

    最初、大学1年生のサークルのコンパでレモンサワーを先輩にすすめられた。ぜんぜん美味しいとは思わなかった。
    就職して4年目頃、仕事が終わって電車が来るまでの間、駅のホームの売店で缶ビールを1、2本飲むようになった。仕事の達成感も伴い美味しいと感じた。後輩にも缶ビールを買ってあげるようになった。
    連続飲酒が始まったのは入社10年目頃。仕事のストレスを発散させるために酒を飲むようになった。また、いいアイデアが浮かばないとイライラするようになり、それを鎮めるために飲んだ。
    特段、高い店、女性のいる店に行くわけではなく、食事時、食後、TV・雑誌を見ながら一人静かにビール等を飲む習慣がついてしまった。
    肝臓のγGDPが1,000を超えたあたりから「ちょっとやり過ぎ」かなとも思ったが、まさか依存症になってしまうとは考えてもみなかった(大量飲酒者であるとは自覚していた)。「20040524:回復のためのミーティング:前半より」

    <ウツでお休み>
    私は、3年位前から、ウツの傾向があり、診断書を貰い、会社を連続して休むようになった。精神科医は、「ウツにはアルコールは絶対に駄目だよ」と私にいった。しかし、その診察の帰り、駅のホームで発泡酒を飲み、さらに、ウツの薬を焼酎の水割りで飲んで遊んでいた。「ウツには薬よりアルコールさ」と。一度、精神科医で血液検査をしたところγGDPが1,177であった。精神科医は目の玉が飛び出すほどびっくりしていた。「通常の人より1,000以上高い~」、「アルコール専門病院を紹介してやるから30日ほど頭を冷やして来い!!」と言われた。

    この時、素直に従っていれば以下の話はなくなるのだが…

    未分類 | 10:44:01| Trackback(0)| Comments(0)
    五省(Five Reflections)
    <五 省>

    一.至誠に悖(もと)るなかりしか  (真心に反する点は、なかったか)

    一.言行に恥ずるなかりしか    (言行不一致な点は、なかったか)

    一.気力に缺()くるなかりしか  (精神力は十分であったか)

    一.努力に憾(うら)みなかりしか  (十分に努力をしたか)

    一.不精に亘(わた)るなかりしか  (最後まで十分に取り組んだか)


    これは、帝国海軍兵学校において使用されていたもので、いわば「自戒の言葉」であった。この内容は、普遍妥当性を持つものとして、如何なる国、如何なる時代にあっても、人間が生きるうえでの教訓的な意味をもっており、現代人にも通用する立派な反省の言葉である(アメリカ・アナポリス海軍兵学校でも翻訳され現在でも教育に利用されているという)。

    私たちも、AAメンバーも「今日一日」を大切にするという旨、人生を送っている。「深く自己を見つめ、何か人間として至らぬ点はないか」と今日一日を自省することも必要かと思う。そして毎日継続的に行われていけば、自分に誇れる人生を送ったといえるのではないか。


    未分類 | 08:36:35| Trackback(0)| Comments(1)
    頭のなかがごちゃごちゃ
    20050524_0000_0000.jpg

    写真:ごちゃごちゃの象徴、ウイルキンソンの空箱!!

    自分の頭の中を整理するために、下記事項を並列列挙します。

    <他人のこと>
    このブログを書く際には、日本の社会経済の他(また大きく出たよ!)、他人様の掲示板、ブログ等に目を通し、同じ方向性を保ちつつ、同じ論点でもちょっと違う視点で物を見て、書くようにしています。サーベイだけで約30分、駄文を書くのにも1時間位かかってしまう。結構、忙しいのである。  この頃、東京株式市場の状況もあまり把握できていない。

    <ウイルキンソン:誰が発端だったかな?>
    掲載写真のとおり、私はウイルキンソンにはまってしまいました。執筆の合間にちょこっとやるのですが、もともと1本190ミリリットルしかないのだから…。3本飲んでもペットボトル並みなのです。もう3ケース(6ダース)目に入っています。敢えてケースを残しているのは夏用の簡易ベッドの下地にしようかなーと思っているからです。

    <執筆原稿>
    今、草稿しているのは、
    ①毎日の「のぶちゃまのつぶやき」
    ②その中でも、「入院中の記録」(退院日は5月28日)を集中掲載したいための原稿
    ③「のぶ家のアーカイブ」(7月上旬目途)
    なのである。
    ①の負担は軽くはないが毎日のことだから、②の記録を書くのはなんとなく昨年を思い出すようで筆が進まず、③は人生41年あまりにも書くべきことが多すぎて困っています。よって、タイミング的には②の原稿を最優先して書かなければならない。「嫌なことから解決するように」とは元上司の教え(大熊さん:感謝)。

    <たまるものとたまらないもの>
    例:ひげと頭髪
    何故、ひげは生えるのか?これが頭に生えれば育毛トニックを買うこともないし、シェービングクリームや剃刀も買うことはない。時間とお金の節約になる。薄毛は立派な見栄えとなる。
    例:お金とストレスサラリーマン生活、ストレスは溜まるが、お金は貯まらず。
    これが、反対ならどんなに幸福だろうか、世の中、そんなにうまくは回らない。
    確か、このネタは「ぶどうのつるのように」で執筆したような気がし、反応がなかったように記憶している。

    <お仕事>
    財務管理の入門原稿4回分の原稿のスキームと初回分の粗原稿を金曜日夕刻までに揃えること。仕事は仕事でわりきってやる。若干の仕事の貯金も欲しい。

    <日曜日>
    新宿オフ会…行きの足をどうするか?三島から新幹線か、沼津からあさぎり号か:金と時間のバランス。神保町にて不動産鑑定の専門書のチェックをする時間を留保すること。さらに、一次会のあと、神宮球場に足を運ぶ必要があるか否かを検討し、意思決定する。集合場所は路線でいうと何か調べる(地図)。
    ひいらぎ師匠にお礼・ご挨拶を忘れずに(話したいことをメモ書きすべし)
    帰りは肉体的負担を軽くすべく東京・静岡間新幹線(チケットORカード)財布と相談。

           頭のなかがごちゃごちゃだー

    未分類 | 10:17:00| Trackback(0)| Comments(0)
    -給 料 日-
    私は、入院中、「あなたの生きがいは何ですか?」と回診のたびに問われ、「家族です」と応えていました。「もう少し具体的にはどうですか?」、「…」となっていました。

    「生きがいはなに」と聞かれ皆さんはどう応えるのでしょうか?

    普通の人々は、生きていく基礎として働かなくてはなりません。これが自分の本当の好きな道であり、その先を目指して歩んでいける人は本当に幸せだろう。
    それに反して、働くことや会社に対して、誰しもが不平不満は少なからず抱いているものだろう。それなら、早く会社に見切りをつければよいのだが…
    昨年、読んだ本のなかにこんな一節があった。

    「もともと会社に入ったときから、そんなに長く努める気がなかった。会社は一種の動物園で。飼われているタヌキは、毎月25日になるとエサをもらえる。でも、長く居ると、外に出してやるから原野に帰れといわれても怖くて尻ごみし、出ていけなくなる。そのくせオリのなかだとブツブツ文句ばかりはいう。結局、自分に実力があれば外に出て自分でエサをとって食えるのに情けないこっちゃ、早くオサラバできるくらいの実力をつけてみたいもんだ、といったのです」

    誠に申し訳ありませんが、本部分のみをメモ書きし、書名、著者の方をメモしなかったため、出典を記載することができませんでした。お詫び申しあげます。

    こういう問いに関し、「サラリーマンと呼ばないで」:毎日新聞社特別取材班、「働くということ」:日本経済新聞社などが、働くことや会社に勤務することへの意義、疑問について焦点をあてよく記述していると思う。

    ちなみに「生きがい」「生甲斐」を辞書で引いてみると、
    「生きているだけのねうち」、「生きている張りあい」とある。そうだとすれば、働くことや趣味がそのままは当てはまらないように感じる。

           「あなたの生きがいはなんですか」


    未分類 | 13:31:29| Trackback(0)| Comments(7)
    雨の日曜日:人生案内・酒
    20050519_0846_0000.jpg


    <雨の日曜日>
    我が家は私が車を運転しないせいもあるが、特に雨の日曜日は外出をしない。家族それぞれが、たまった書類の整理やアイロン、宿題・明日の準備などをする。
    さらに時間があっても、TV(ゴルフ)などもつけず、読書をしたり、横になったりして月曜日以降の英気を養う。今日のロードは中止しました。

    <人生案内>
    私の仕事の一つに、新聞の精読がある。担当は日本◎◎新聞、読△新聞、地元新聞、その他専門誌をこなす。原則、月曜日は3日分なので目が疲れる。
    先週、目に付いたのは「人生案内」で「子供を乗せ夫が飲酒運転、注意してもやめず、私はうつ病に」の首題のほか、「休日は昼間から飲酒し、物をこわす」とある。
    このての話は、自助グループに行けば耳にタコが出来るほど聞かされる。思うに、投稿者は問題及びその解決策をある程度作っており、それを投稿しみんなに知ってもらい、背中(解決策)を押してもらいたいのだと推察する。こういう人たちにとってミーティングなどにおける私たちの発言は「福音」は言いすぎだが、「助言」にはなると思う。12番目のステップがいかに大切なものかを垣間見ることが出来る。


    <明日は月曜日>
    今週は、会社のお偉いさんたちが、会議やら長期出張などで不在の時が多い。与えられている仕事は、財務理論の入門原稿の立案が主となる。よってアイディアを捻るための専門書のサーベイが必要となる。どこか狭い部屋にこもり、他人の著作を参考にし悩むしかない。こういう原稿執筆は勢いがつけばよいが、つかなければ1文字も書けないものである。◎◎先生のようなエロ小説なら何とかなるのだが…

    <その他>
    約2週間ほどブログを続けてきて、おそらく毎日読んでくだっさている方も少ないながらも、いらっしゃるかと思います。でも、寂しいことに、このブログに対するコメントの数が少ないと感じています。まだブログが一方通行のような感じとでもいえましょうか。ですから、私の書いた原稿について、「面白い」、「つまらない」、「考えが甘い」、「スケベだ」などなど、読み終え、思ったことをストレートにぶつけてくださるとありがたいのですが…

      最終的には相互理解のためのブログでありたいのです


    未分類 | 16:25:00| Trackback(0)| Comments(3)
    今日の出来事②
    <競技の部>
    娘は5年生で「150メートル走」に出場し3位で頑張る。騎馬戦にも出て、用具係りも地道に務める。
    私が小学生の頃は、「運動会、雨で中止にならないかなー」だったから(もちろん着外)、娘が「明日、晴れたらいいね」の一言がとてもうれしい。
    次に夫婦で「玉入れ」に出場。白組107個、紅組「108個」で1個差で敗れる。これは悔しい。でも勝っても負けても参加賞は「ネームペン2組」。

    <診療の部>
    競技の合間を縫って、先月より変えた「心療内科」にて診察。会社のこと、家庭のこと、思いのたけを話す。
    「最近、ブログを始めました。まだアクセス数は少ないけれど、自分の考えを文章にまとめ表現できることは楽しい」
    と話すと、「ブログは精神療養にとってもよい」とのこと。
    そして「私のブログを取りまとめたものを見てくださいますか」に対し、「見ますからお送りください」とのこと。でも、睡眠時間を削ってまでやらないでねと釘を刺される。親切な診療で待たされるのよねー。

    <夕刻の部>
    三人疲れ果て川の字で休む。妻が夕食を作る気力がないため、お小遣いで回転寿司にいこうにみんな賛成。ゴチになります。運動会のこと、寿司の皿の数のことゴチャゴチャはなす。実に楽しい。

    <その他>
    ・市内に住む父親が、今年飲む一年分のお茶と採りたての枝豆を置きに来る。我が家は、農家から一年分を直接仕入れて冷蔵庫で保管してます。
    ・ウイルキンソンが中野屋から2ダース届く。ふふふ。
    はむすたーの「さくら」昼間、元気に寝てます!これも話題の一つに増えた
    この頃、深夜、ハムスターひいらぎさんと、ごにょごにょ遊びとても楽しい。
    ・明日(この時間、今日)はロードにでよう!、本も読もう!

         結構、アットホームな「のぶ家」ではないか。
         一年前は考えられないことだった!!



    未分類 | 23:26:44| Trackback(0)| Comments(5)
    今日の出来事①
    20050521_2120_0000.jpg


    <早朝の部>
    早朝5時半、ウイルキンソンの空瓶を廃品回収場へ妻の運転で運び込む。帰りは、ペーパードライバーの私が車の往来のない道を300メートル走る。しかし、青空駐車場にバックで枠に入れること出来ず妻に交代。でも運転席に座ること自体私には大きな進歩。

    未分類 | 22:07:15| Trackback(0)| Comments(0)
    一週間の棚卸し②
    <会社の部>
    相変わらず、「窓際族」的仕事に終始。水曜日の業績評価の面談時、シートには思っていること、悩みなどを素直に書いてくださいとあったため、そのとおりに記述したら、上司に修正を求められた。こういうのがわが社の真の企業風土なのである。昨日は疎外感を覚えた。

    <我が家>
    月曜日に、ハムスター「さくら」が我が家に仲間入り。「やれひまわりの種を食べた、水を飲んだ、寝てるー」とまるで自分の子供のように観察している。思えば娘が生まれたときもそうだった。子供にとって「生・死」ということを教えるにはよい機会であったと思う。

    <自分自身>
    眼鏡が壊れ、夏のボーナスに予算組む。のぶ家8人が7月伊東で家族一泊することが決定。何をするわけでもないが、両親は大喜び。やはり「親孝行」は大切である。
    以上二つの出費からDVDの購入は冬に延期か?この夏休み妻子には「ティズニーランド」か「愛知万博」には行かせてやりたい。

    肉体的には、自転車のロードに出ることもあり健康そのもの。精神的には、国家資格に再挑戦したいという意欲が湧いてきたことは評価できる。

    明日は、娘の運動会。参加賞でもいいから元気よくやってもらいたい


    まだ、不慣れなゆえこの世界の礼儀作法がわからず、関係各位にご迷惑をおかけしたことをお詫び申しあげたい。ボタン一つで情報が瞬時に駆け巡り、取り消すことが困難であることを肌で感じました。

    未分類 | 08:03:39| Trackback(0)| Comments(0)
    仏の「のぶ」も、もはやこれまでか
    <深夜の部>
    ひいらぎさんが、自らのバースデーミーティングから戻ってきたのが11時過ぎ。そこから中年おやじ二人の「変な」やりとりがおこなわれた。概略は以下のようだ。すべてメールでの会話:「ただ今、戻りました」、「食事にする、お風呂にする、日々雑にする?」、「乾杯しよう」、「ウイルキンソンの栓をあけるね」、「あけた」、「乾杯(スコール)」、「ちんちん!」 … その他ごにょごにょ~と
    お互いに電話番号知っているのだから電話で会話すればいいのに、電話代がかかる…だって。
    ひいらぎさんが掲示板を削除したがるわけだ。


    <午前の部>
    とにかく、夜更かししていたため眠くてたまらん。
    今日は、印刷業者が物を納入し、ダイレクトメールの発送作業が予定されていたが、いつまでたっても荷物が届かない。席を離れるわけにもいかない、ひいらぎさんの昔の「日々雑記」を読み直し、若干の商品発注をしていたら、もうお昼。

    <午後の部>
    午後は、「シエスタ」の時間。荷物が届くのは15時頃のようだった。しかし、荷物はこなかった。というより、荷物が先方の都合で明日到着になることは、一部の人は午前10時にわかっていたのだ。そのことを誰も私に教えてくれなかったということだ。仕事を干されるのは慣れてきたが、情報までもが阻害されるとは思ってもみなかった。私は、職場で完全に孤立したのである。
    こないのが最初からわかっていれば遡及して「日々雑」は読みません!プンプン
    帰りの電車の中で、仲間にメールを打った。「ぶらぶらし、子どもにも仕事の誇りを持ってない」とういう主旨のものだったが、お返事は「給料がもらえていればいいんでないのー」という予想通りのものでおかしくなった。その後、普段寝ることのできない電車の中で寝てしまった。

    本屋に立ち寄った。新書本が欲しが、おこづいかいがないので慎重に選ぶ。図書館で購入してくれるような本は絶対買わない。先週買った本は「500円でわかるブログ」であった。

    そうしたら「失踪日記」が平積み山積みされていた。まさしく神の啓示だと思い、中身を確かめることなく1,200円差出しお釣りを貰った。今日はこれを読もう。読んだら古本屋に売ろう。

          仏の「のぶ」も、もはやこれまでか

    なお、「のぶちゃまのつぶやき」のタイトルが長いという、苦情が聞かれましたので、時々「のぶやき」とさせていただきます。





    未分類 | 12:45:20| Trackback(0)| Comments(1)
    流転:先のことなどわからない
    私は、大学4年間で単位を取得し、とある金融機関に就職するのを当然と思っていた。しかし、面接のときに面接官と会社の将来性について問われた際、面接官の意に反することを言ったらしく、「今一度再考すれば、ここは通す」といわれた。しかし、私は自説を曲げてまで就職する気持ちはなくなり、敢えて就職留年、大学5年生となった。
    それから日々、虎ノ門の弁護士事務所や信濃町のとある医学部の図書館でアルバイトをし、楽しい生活をしていた(経済的には余裕があった)。
    しかし、フリーターでいることはもう許されず、清水に帰らなくてはならなかった。そして、就職先を探していたらありましたお気に入りの会社が!
    アル中なら必ず飲んだことがある黄色の缶を製造している会社に就職しようと思った。この会社は、当時「脱アルコール飲料」を目指し「医薬品分野」に注力していた。当時、大株主は旭化成工業であった。
    面接では、あなたは「この会社に入って何の分野に進みたいですか」との問いに、「ハイ、私はまずハイリキを売ります」と元気よく応えた。
    「何故ですか」の問いには。「世の中から酒飲みがいなくなることはありませんから」と応えたときは重役から笑みがこぼれた。
    最終的に社長から、「君なら、他の会社でも内定をもらうことができようが…」と言われ、すかさず「男として複数の会社から高い評価を得ることはうれしいことです」と締めくくった。

    高倍率にもかかわらず私は一発で内定を勝ち取った。もし、仮にその会社に入っていたら私の人生は大転換していたに違いない。そののち、今の会社に「ヘッドハンティング」されたのだが・・・
    その後、その会社は「旭化成」の完全子会社となり、現在は「アサヒビール」の一飲料分野になっている。
    AAには、「もし」、「仮に」の言葉は禁句だが、今頃、「夏よ暑くなれー」、「チューハイ飲めー」、「昼間から飲めー」とやってたにに違いない。
    この話を、ホームのミーティングで話したらうけた。特にこの銘柄が好きな仲間もいた。みんなこれを知っている仲間は私の顔を見つめ笑っていた。

    みなさんも、この商品の歴史をたどってみれば…
         人生、先のことなどやってみなけりゃわからない!

    未分類 | 19:45:32| Trackback(0)| Comments(3)
    学問のススメ
    その昔、
    大工:「活ちゃんちの二人の子は賢いんだってなー」
    親父:「そうでもないよー」
    大工:「大工にするのはもったいないなー」
    親父:「大工は俺でお仕舞い。あいつらは学問つけて、学校の先生かなにか勤め人にさせるさー」

    これは、親父が働き盛りの頃の自慢であり、酒のつまみであたった。確かに兄弟二人は特別ではなかったが、学校の勉強はそつなくこなしていった。


    私は、無名高校のドベからあの大学を目指していたから大変だった。二宮金次郎なんて問題ではないほど勉強した。そして一年働きながら浪人し、そこの商学部に入学した。
    さて、「青春の門」はまた後に語るとして、その10年後、今度は勤めていた会社から、今度は「あのビジネススクール(大学院)へ行け。学費もやるし、その間、給料もやるから勉強せよ」という辞令をいただいた。

    かくして、私は2つのライバル校を卒業してしまったのである。
    でも、私は必ず「俺は、こっちは5年、あっちは2年、意気込みも期間もぜんぜん違う」と「都の西北」を最終学歴としている。


    さらに、私の勉強好きは結婚後も続き、ある国家試験の2次試験を合格し、40歳を超えてまた3次試験を目指すこととなった。
    その3次試験を受ける段階にあって、ウツを発病し、アルコールでアクセルを踏んで入院にいたったのである。
    なんと恵まれたアル中だろうか!
    でも「万事塞翁が馬」3次試験を受けるときは「酒」が一番のライバルであったから、それが無い今、受験勉強をするには最適ではないだろうか?
                                                    来年の秋の試験には是が非でも合格したいものである!



    未分類 | 00:31:37| Trackback(0)| Comments(0)
    アーカイブ:歴史は繰り返す
    20050516_2101_0000.jpg


    今回、娘が「自分ちの家を建てたらハムスターを飼う!」と言ったのは本当です。同時にそれは当分の間、ハムスターを飼うことを諦めるということと同義です。

    私もアル中の大工の次男として生まれました。一戸建ての借家に住んでいたときはネコを飼っていました。その家が大家に追い出され、小さなアパートに引っ越さざるを得ない状況になったとき、ネコを捨てました。

    その経験から、娘には親と同じ目にあわせるのが可愛そうで、娘の背中を敢えて押しました。今は、賃貸のアパート暮らしなので私が大好きな犬を飼うことは出来ませんが、娘がハムスターを飼うことぐらいは大目に見てくれるでしょう。

    現在、私は、毎日の原稿執筆のほかに、簡単な家族のアーカイブ(記録)をまとめています。もう、両親も歳を重ね、昔の記憶も薄らいできているようですので、その記録を残すためにも、記憶、簡単なヒアリング、文献参照をしながらまとめています。

    その過程で、ネコを抱いている子供の頃の僕の写真が出てくるかも知れません。

    歴史は繰り返す

    子供に、私と同じ不憫な思いをさせることは出来ません。(写真はハムスターの「さくら」♀)

    未分類 | 00:05:37| Trackback(0)| Comments(0)
    魔の月曜日だが・・・楽勝
    <午前の部>
    昨日、昼寝をしたうえ、夜中考え事をしていたら、眠れなくなってしまった。「明日は(実際はもう今日)は月曜日だから」というあせりもあり、眠剤(ハルシオンなど医師から処方された分)を3時に飲んだことから、朝5時半頃起こされたときは薬が残って頭痛がし、ちょっと横になりながら休んで、入院する仲間にメールを入れたらいつの間にか、また寝てしまい会社に到着したのは10時半頃。毎週恒例の朝礼はサボることができたが、しっかり「遅刻扱い」。
    それから週始めの新聞読み。社会経済に大きな動きがなかったため、新聞はナナメ読み。でも、日本◎◎新聞の、あのエロ小説を読み始めると「眠剤」をつかって男女の仲になる場面が3日連続して掲載されており、「馬鹿じゃなかろうか!」と思いつつもしっかり読んでいたら、もうお昼。

    <午後の部>
    与えられている仕事は「流しののぶ」の異名をとる私にとっては楽勝で定時退所。
    しかし、昨日から娘がハムスターを飼うか飼わないか「いじいじ」していたので電車の中からメールで「はっきりしろい!」と背中を押す。
    返事は意に反し「自分のお家が出来たら飼う」と涙ぐましい返事。アル中の私が持ち家の頃は彼女はもう、そんなことには興味を抱かないだろうと哀れに思い、再度の催告。
    「本当はほしい!」と言ってくれた
    ので、夕食もとらず妻の運転でホームセンターへ直行!
    ジャンガリアンハムスターのメスを一匹飼うことにして、女性店員を呼び、「物品一式揃えろー」で決着する。                                                                      
    我が家の新しい仲間の名前は「さくら」


    正直言って、俺が欲しかったのかもしれない。写真は明日公開予定。

    未分類 | 15:37:58| Trackback(0)| Comments(0)
    今日の出来事
    <真夜中の部>
    私だけでなく、「便所が見当たらない、漏れそー」とか「この小便、長いなー、ふー」という夢を見いた人はいるでしょう
    今朝方、私も後者の夢をみて、「ヤバイ」と思って飛び起きました。そしたら、寝小便する寸前、本当に危なかった。もう41歳だし娘の手前もあるし。
    正直、私は寝小便たれでした。小学校のキャンプとかは寝小便が気がきでなりませんでした。最後の寝小便は、昨年、入院始めの3月。看護士さんに申し出たら、ごく日常のように皆にわからぬよう、布団を変えてくれました。ありがとう。

    <午前の部>
    本日、町内会の一斉清掃、「田舎ではどぶ掃除」といいます。どぶなどもうないのに行事だけは未だ残っています。取り敢えず、朝、参加しないと、課徴金2000円を徴収さるので参加賞する。その後、ロードで数キロ足慣らしをする。

    <午後の部>
    3時間後の昼寝の後、問題のハムスターを飼うか否かについて結論を出すべく、ホームセンターに行く。しかし、娘はまた躊躇し、考えてしまう。
    夕食、豪華な晩餐といきたいが、GWにお金を使いピンチ。家計ピンチの時の献立はお決まりの「お好み焼きと焼きそば」。

    今日は、ホームセンターにいっていたため、拙が嫌がるあの番組を見ないですんだ。TVを最初から見なければ、あの笑い、音楽を聴かずにすむのだ。

    さて、夕食をとった後、一日のうちで最も睡魔に襲われるような生活習慣がこの頃続いている。今日もそうだった。そして、真夜中に起き、今日の稿の締めにかかろう。明日は月曜日やだ、やだ。でも、ある程度はやらなければなりません。今週は、こんな感じでいきましょうか。

         「はじめちょろちょろ、なか、ぱっつぱ!!」

    続きを読む >>
    未分類 | 06:23:09| Trackback(0)| Comments(2)
    週末の楽しみ
    20050506221757.jpg


    今まで、週末のお楽しみといえば、スーパー銭湯に浸かることが関の山であったが、土、日のうちどちらか天気のよい一日は、自転車に乗りたくなったのは、今年のまだ寒い頃だったか・・・その頃から準備をしてきた。
    私の自転車はは、10数年前に道楽で買った「ビアンキ」(イタリア製:肝心な部分は日本のシマノ製)のロードレーサー。これをお小遣い前借でお直しした。ちなみにお直し代ぐらいでママチャリが買える。
    特に変えたのはタイヤ。パンクすると気持ちが萎えてしまうので、多少重くなってもタイヤの耐久性を重視した。そして、ペダル。これは10数年前のペダルは遺物のクリップ式。これをマウンテンバイクでも使えるものに変え、同時に靴を新調しました。併せると足元が全体的に重く感じるのですが、自転車を連れて歩くときに、靴音がカチャカチャしなくてよく、マウンテンバイクを新調したときにも使えます。

    自転車も、中古車よりも高い30~40万円位するものもあります。私は初級者ですし、金もないし、乗りこなせませんから、そんなところまで手を出しません。

    自転車は、通常、自分の足でペダルを動かさなければ前へ進みません。また、「踏むのが嫌だー」とやめてしまえば、いつかは止まってしまいます。ですから、自転車の走行は、自転車そのものよりもむしろ乗り手の気力・体力に左右されます。

    さて、自転車乗りの効能といえば、慢性腰痛がほぼ無くなり、日頃の運動不足とストレスが解消されます。そして、田舎ではベンツに乗っていても注目されませんが、派手なウエアをまとい、原付をぶっちぎる速度で走れば、「頑張れよー」の声。休息でも、清水港を挟み富士山を見れば気分も落ち着きます。田舎ならではのどかな楽しみです。そりゃ~一走りした後は***も美味そうなのですが、私たちはそれは叶いません。

       「まだ、そのへんのガキには負けへんでー」と強がる。

    未分類 | 22:40:16| Trackback(0)| Comments(0)
    一週間の棚卸し
    今週は、GW明けの一週間ということもあって日本経済社会(大きく出たなー)だけでなく、企業も後ろ向き、溜まった仕事の処理など、慣らし運転の感じではなかっただろうか。
    私自身、溜まった新聞の多読には辟易したが、仕事らしい仕事は実にならず、パンフレットの校正、ダイレクトメール発送の準備、メールボーイ的な仕事しかなく、残業もほとんどなし。
    AAミーティングには2回参加し、言いたいことを言ってしまった。特に、バースデーということもあり、慣れない話をしたこともあり少々緊張してしまった。

    今週最大の収穫は、勿論このブログの立ち上げである。特にハード、技術的な分野においては写真の取り込みなど「ひいらぎさま」に教えを乞うた。ここに、お礼申しあげます。

    これに反して、コンテンツの部分はまだまだである。空いた時間にメモ書きをしおておいても、乱筆故に一夜明けると自分の字が判読できないことも多かった。
    こうしてみると、毎週毎日、文章を書く仕事は大変だ!ということがよくわかった。
    何か、作家というと、適当なことを書いていれば、一枚いくらの商売となるのだが、本当に適当なことを書いていたら次の仕事が来なくなる。とどのつまり生活に支障をきたす。やはり「隣の芝は青く見える」ものである。

    そして、もう一人の自分を作り出す面白さを感じた。「二束のわらじ」、イスの足は3本よりも4本あったほうがよいことなども痛切に感じた。あと、漢字を失念していることには衰えを感じた。また、内輪ネタではあるが、物事が上手く運ばないとウイルキンソンのジンジャーエールを3本 (1日2本までと決めていた)空けてしまったり・・・「詳しくは、ぶどうのつつのように」

    でも、総括すれば、時間は充実し、時の経過が速かった一週間であった。

           「今日一日を大切に」・「今日を新たに


    未分類 | 22:16:17| Trackback(0)| Comments(0)
    一年の記念のメダル
    20050511160436.jpg


    このブログが、「だだの窓際サラリーマンのつぶやき、ぼやきを発表する場」と限定してとられてしまうと誤解を招きやすい。それだけではないのです。もともとはAAを柱としたブログでもあるのです。

    私には、サラリーマンの前に「アルコホーリックの」という限定的な修飾語がつく。
    私が、「ハンドブック」と「ONE DAYメダル」をもらって、AAメンバーとなったのは昨年の4月9日。
    それから、私の第二の人生が始まったのです。
    最初のミーティングに参加したときのことは、また、後々の話しとするが、私は、比較的順調に階段をあがっていったように感じる。表面的な行動でさえ、先行くメンバーの後ろ姿を追いつつ、コーヒーの準備をし、看板を掲げ、司会を努め、今年からは会計を担当するに至った。
    実質的にはまだまだ「ひよこ」なのですが…

    先日、1年の記念のメダルを頂戴した。1年物は金属製で「重み」がある(頂いてはいないが9カ月から金属製なのである・・・不思議)。これは、ビニールの袋に入れお財布の中にしまい、「お守り」、「戒め」の道具とでもしようと思う。

    さて、私はこの1年のメダル以外はニューカマーに手渡そうかと思っている。私はメダルコレクターでもないし、きれいに保管していたためきれいだし、心もこもっている。値段も馬鹿にならないのも事実だし…。他のグループは、メダルはどのようにしていますでしょうか?


    未分類 | 20:01:57| Trackback(0)| Comments(1)
    銭屋半兵衛の所以(ゆえん)
    20050511160401.jpg



    ここでは、「清水ののぶちゃま」のほかに「銭屋半兵衛」とも名のっている。この名前の由来は…

    もともとウツ病で休職中にアルコールに逃避し、いつの間にかアルコール依存症と診断されるようになったのが約1年前。昨年6月に復職したものの、ろくな仕事は与えられず悶々としていたものであった(確かに、私が上司なら、気を使い厳しい責任のある仕事を任せることはないかもしれない)。そのため、仕事をしたい私からすれば、そのような状態は「干された」と認識せざるを得ない。

    そのことをミーティングで仲間に話をしたら、在野の兵法家「竹中半兵衛」をもじって、「半兵衛」と名のればーといわれた。まあそんなものかと思っていたら、「屋号」を何にするか考え始めた。
    私は、竹中某ほどの知将ではないから…な、そうだ、私は元が金融機関勤務だったし、それは昔でいう「両替商」、それならストレートに「銭屋」としたらとアドバイスされた。かくして、私のニックネーム(コードネーム)は「銭屋半兵衛」となったのである。

    確かに私は、少し強欲だし、お金に細かいからちょうどいいやとも思う。大学や大学院の専攻も会計学だし…
    したがって、「清水ののぶちゃま」も「銭屋某」も同一人物。
    其の時の気分で使い分けているだけでいるだけである。
    写真:1988~89年頃




    未分類 | 16:19:57| Trackback(1)| Comments(0)
    サラリーマンの月曜日…げんなり②
    20050510_0845_0000.jpg


    この稿は、当初1回で終わりであったが、よくよく考えたらGW明けの月曜日であったため、その度合いは通常の倍以上の破壊力であった。副題は「新聞の山」。

    普段なら、お茶でもズズーとすすりながら、読むところだけれど、月曜日は、土曜、日曜そして月曜の分があるから、通常の3日分、その他専門紙も読まなければならない。さぼっていたGW中、5月3~5日の分もあわせると20部数以上にもなった。でも、プロになると、ある程度斜め読みができる。

    そのなかで、真面目に読んでいるものの一つは日本○○新聞の「△の流刑地」渡辺××著(写真参照)、要は「エロ小説」。前回話題の「◎楽園」以下の文学性の低い作品である。素人でも先が読めてしまうという、実につまらない作品だが・・・。
    電車の中でも会社のお偉いさんが、難しい顔をして読んでいるのは、世界或いは日本社会・経済の見通しではなく、意外とこのての「小説」なのかも知れない。

    (明日の予定稿)
    銭屋半兵衛の所以
    ※毎日、更新することを目標といたします!

    未分類 | 22:04:00| Trackback(1)| Comments(0)
    サラリーマンの月曜日・・・げんなり①
    サラリーマンの月曜日は、「げんなり」とするものである。
    伝統的な日本企業では、月曜日には朝礼があり、各種の成果目標、実績、進捗度などを各自発表し、叱咤激励が行われるのが常である。
    休日、家庭サービスに追われたにせよ、これほどまでに会社に引き戻される儀式はない。

    私は、昨日記したように日曜日の夕方、「笑点」の頃から、月曜日のことを意識し始める。成績が振るわないのは本人が一番自覚していることなのだ・・・
    月曜日に自殺者が多いのは厚生労働省の調査でも明らかである。男性で、土曜日の1.5倍、女性でも1.3倍にものぼる。ちなみに自殺者が少ないのは、日曜日と祝日・年末年始である。

    まあ、そのような調査結果があるにもかかわらず、月曜日の朝礼で、「ファイト」、「ガンバロー」、「エイエイオー」などの死語を唱えている会社の未来は、計り知れたものではなかろうか?

    (明日の予定稿)
    サラリーマンの月曜日・・・げんなり②

    未分類 | 14:33:44| Trackback(1)| Comments(0)
    今日は日曜日
    今日は、日曜日なので今週のつぶやきの構想を練りたいと思いますので、発表分は軽いネタとしましょうか…

    <大いなる野望①>
    つよしさん、私はこれから毎日、つぶやきの紙面をうめ、2~3年分原稿をため、幻冬舎の見城先輩のところに、「ベストセラーにして頂戴頂戴!!」と押しかけ、それを実現し、印税生活者になりたいと思います。

    <大いなる野望②>
    通常、寝相の悪い人のたとえに「大の字に寝る」といいますが、今、見てきたところ娘は「土の字」 (本当に開脚するのよ!)に寝ていました。布団をかけつつつ「将来は新体操の選手か中国雑技団に売り飛ばそうか」と思いました。

    <サラリーマンの日曜の夕べ>
    サラリーマンの休みも通常今夜まで。月曜日のことを考えると憂鬱になります。私の場合、夕方、
    この時間となると「ああ、明日は月曜日なんだ。会社に行くんだ、いやだなー」となりTVを消してしまいます。
    都合で、隠居している実家の親父のところへいくと夕食時、相撲かこれを必ず見るため、私は頭を抱えてしまいます。

    あの音楽、あの笑い… 通常のサラリーマンには耐え難いものがあります。
    敢えて言わせて貰います。

    『笑点』の馬鹿野郎!俺たちゃ笑っている場合じゃないんだー


    <技術協力:ひいらぎ>

    (明日の予定稿)
    サラリーマンの月曜日…げんなり


    未分類 | 03:22:14| Trackback(0)| Comments(0)
    次のページ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。